tkgshn感想: コミュニティから大人のゲームへ
変わるかもしれない
あくまで個人の意見である
能力があるかないかはここでは取り扱わない
コミュニティイベントに関してはAudrey Tang.iconですら、権威性でやっているわけではないtkgshn.icon
そういうのは大学や行政に任せればいいと思う
実際、行政や大学がクオリティが高いものができるかというと別だとは思うが
"イシューを抑えていない"ことの方が多い
控え室はあるのにあるのに興味がある人なら誰でも入れるわけではない
名刺交換があるのに誰もが質問できるわけではない
予算はあるのに誰もPlurality概念に対して身銭を切っているわけではないから、本人からしても「意見が分かれるような」トピックは話せない
明確に分けて欲しいし、正の外部性に対してフリーライダーをする場合はその都度指摘していかないとコモンズの悲劇が発生する 「同じ」ではないnishio.icon
それは山形浩生さんによる訳の改善の努力をまるっと無視している
例えば東浩紀さんは「和訳が出版されたら読む」と発言しており、そういう人に届けられる情報表現の形にするために紙の本を作る必要があったのだと思うnishio.icon
僕もTakaも「紙の本になるまで待たずにデジタルデータで読んだ勢」なんで紙の本にさほど価値を感じないのは、それはそう、ということじゃないかな
トレードは差異があるところにのみ成立さはので、有用な情報なのに紙の本にならないと読まない人がいることによって紙の本を作ることが貢献になる
物理本は記念品として持っていたらいいのでは
この場合は両者がコンフリクトしてないのでどっちでもいいと思う