tkgshn感想: コミュニティから大人のゲームへ
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tkgshn感想: コミュニティから大人のゲームへ
PluralityTokyoを始めた身として、いろんなもののフェーズが変わってきたなと思うので心境をメモ
変わるかもしれない
あくまで個人の意見である
tkgshn.iconは独立自営の人間なので、integrity(言ってることとやってることの一致とその誠実さ)があるポジションではある
能力があるかないかはここでは取り扱わない
これがあるが否に、「最も利己的な」意思決定ができる。身銭を切っているので、プリンシパルエージェント問題が発生しにくい
コミュニティイベントに関してはAudrey Tang.iconですら、権威性でやっているわけではないtkgshn.icon
そういうのは大学や行政に任せればいいと思う
実際、行政や大学がクオリティが高いものができるかというと別だとは思うが
"イシューを抑えていない"ことの方が多い
控え室はあるのにあるのに興味がある人なら誰でも入れるわけではない
名刺交換があるのに誰もが質問できるわけではない
予算はあるのに誰もPlurality概念に対して身銭を切っているわけではないから、本人からしても「意見が分かれるような」トピックは話せない
d/acc dayとかが面白いのはそこにあるtkgshn.icon*4
明確に分けて欲しいし、正の外部性に対してフリーライダーをする場合はその都度指摘していかないとコモンズの悲劇が発生する
正統性のゲーム
例えば「コミュニティによる和訳」(Plurality和訳)と、サイボウズ式ブックスから出た本の内容は同じである
「同じ」ではないnishio.icon
それは山形浩生さんによる訳の改善の努力をまるっと無視している
tkgshn.icon的には、Scrapbox読書ができるぶん、こっちの方が「読む」に値する
例えば東浩紀さんは「和訳が出版されたら読む」と発言しており、そういう人に届けられる情報表現の形にするために紙の本を作る必要があったのだと思うnishio.icon
僕もTakaも「紙の本になるまで待たずにデジタルデータで読んだ勢」なんで紙の本にさほど価値を感じないのは、それはそう、ということじゃないかな
トレードは差異があるところにのみ成立さはので、有用な情報なのに紙の本にならないと読まない人がいることによって紙の本を作ることが貢献になる
物理本は記念品として持っていたらいいのでは
この場合は両者がコンフリクトしてないのでどっちでもいいと思う
実際、全ての経費はサイボウズが持ち出してやっているわけなので、コミュニティが作ったエコシステムにおける正の外部性を使いながら、サイボウズが貢献してくれるのであればお互いの利益のトレードが成り立つ